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藤原みち子の活動日記

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2014年 03月 02日 ( 1 )

 2014年3月2日(日)
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 昨日3月1日はビキニデー。

 1954年3月1日未明、米国は施政権下にあったマーシャル諸島ビキニ環礁で、広島に投下された原爆の約1000倍の威力の水爆「ブラボー」を使った実験を行いました。その時公海上にいた静岡県焼津市の遠洋マグロはえ縄漁船「第五福竜丸」の乗組員や島民らが放射性物質(いわゆる死の灰)を浴びました。その後も実験は続き、54年末時点で太平洋で操業中だった日本漁船が少なくとも856隻被ばくしたといわれており、全国で水揚げされた魚が破棄されました。

 記録によると、米国からスパイ呼ばわりされた22名の乗組員は体力を回復し、約1年後に退院。しかし完治したわけではなく、C型肝炎ウイルが混入した(汚染された)血液の大量輸血に起因する肝硬変や肝がんの恐怖が30年経過した頃から彼らを襲ったとのこと。第五福龍丸の乗組員たちの悲劇は、“死の灰”と“汚れた血液”という二重の「被爆」を蒙ったといわなければなりません。

 しかし、この被爆に対するアメリカ側の法的責任は不問にされ、補償金は全く支払われず、200万ドル(約7億2000万円)の慰謝料で政治決着したそうですが、乗組員1人当りに配分された金額は、僅か200万円に過ぎなかったとか。

 1993年に死去した久保山愛吉さんの妻すずさんは、「私は、これからさきのことを考えると、何から何をどうしてよいのやらサッパリわかりません。けれども水爆の実験を、金輪際やめて頂きたいということだけは、ハッキリと申上げることが出来ます」「夫の死をむだにしないで下さい」と 第1回日本母親大会で訴え、原水爆禁止運動に力を尽くし、「平和の語り部」として訴えてこられました。その後もカイロで開かれたアジア・アフリカ諸国民会議に母親代表として出席。すずさんの歩んできた道は、まさに核兵器廃絶への道とも言えます。 

 そのすずさんと久保山愛吉さんの長女・みや子(当時小学校3年)さんが愛吉さんの亡くなる直前に書いた手記を読みました。ご紹介します。

 死の灰にまけてならない、一しょうけんめいにこの灰とたたたかって、かならずよくなるといいつづけていたお父ちゃん。
 家へかえられるようになったら、私たちをどうぶつえんにつれていってあげるよとやくそくして下さったおとうちゃんなのに、いまは私がおとうちゃん、みやこ子よ、と耳元でよんでもなんとも返事をしてくれません。
きのうも今日も重体のままです、ほんとうにかなしくておとうちゃんのまくらもとで泣いてしまいました。
小さい安子やさよ子は上京していませんが、遠くはなれている家できっと泣きながら小さい手を合わせてかみさまにお祈りしていることでしょう。
 毎日私はおかあさんといっしょうけんめいかんびょうしています。おかあさんは泣かないでと言いますが、そのおかあさんもなみだをいっぱいためているのです。みや子はなおかなしくて泣きます。
 大ぜいの先生がたやかんごふさんがよるもねないで、おとうちゃんのちりょうに一しょうけんめいにつくしてくださっています。先生おとうちゃんをたすけてください。
 私たちがめんかいにいくと、にこにこしながら、みんなごくろうさん、よくきてくれたね、とよろこんで私たち三人のあたまをなぜてくれたり、一ばん小さいさよ子をだいたりしてくれたのに、こんな事になるとは、みんなあのすいばくじっけんの ためなのです。あのじっけんさえなかったら、こんな事にならなかったのに、こんなおそろしいすいばくはもう使わないことにきめてください。

                                          1954年9月3日  久保山みや子

 「みたび許すまじ原爆を…」と歌がありますが、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニ、そして原発の被害は今も続いています。原水爆禁止は世界の流れ、政府はこの久保山みや子さんの叫びをどう受け止めるのでしょうか。
by michiko_fujiwara | 2014-03-02 20:21 | 原発・平和問題

“子どもたちに笑顔、若者に夢、高齢者に安心を” 日本共産党池田市会議員・藤原みち子の活動日記 e-mail : m_fujiwara(a)wombat.zaq.ne.jp…(a)は@に置き換えて下さい


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