中国蘇州市の寒山寺から贈られた「楓橋夜泊」の碑の除幕式に参加してきました。
中国蘇州市との友好都市提携35周年を記念して、中唐の時代の政治家であり詩人でもあった張継の作「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の碑が寒山寺から贈られ、同じ禅宗である池田市吉田町の慈恩寺・毘沙門の地に設置されました。
今日は寒山寺の住職さんを含めお坊さんたちが来られ、除幕式が行われました。寒山寺からはすでに、平成18年に25周年の記念として梵鐘の複製が贈られ、慈恩寺に設置されています。代わりに池田市からは慈恩寺で使用されていた300年の歴史ある鐘を寒山寺鐘の博物館に寄贈したとのこと。
寒山寺の梵鐘は、張継の「楓橋夜泊」に詠まれた有名な梵鐘で、今はその鐘で慈恩寺の除夜の鐘が鳴らされているそうです。日中友好協会の元会長の提案で蘇州の寒山寺でも同時刻に除夜の鐘のイベントが行われているそうです。ちなみに本物の寒山寺の梵鐘は108トン(キロ?)の重さがあるとか。
式典は、市長、議長、寒山寺の住職さんが、それぞれ日本語と中国語のご挨拶で通訳を交えるため、倍の時間がかかりました。私たちは日陰で参加し、暑い中にも時折吹く風に癒されましたが、肝心の来賓席は全く影のない炎天下で、まさに荒行のごとき状況(笑)。みなさんお疲れ様でした。
詩「楓橋夜泊」は
月落ち 烏啼いて 霜天に満つ 江楓 漁家 愁眠に対す
姑蘇城外 寒山寺 夜半の鐘声 客船に 到る
作者・張継さんは政治家でもありますから、おそらく南方の地方官に赴任を命ぜられたころの作ではないかと言われています。
月は沈み夜烏が啼き、霜の降りる気配が天に満ち満ちて、冷え込んできた。川岸の楓の木々の間には漁火が点々として、旅愁のためにうつらうつらして眠れない私の目に映る。
もう夜明けも近いのかなと思っているところへ、姑蘇城外の寒山寺から打ちだされる夜半を告げる鐘の音が、私の乗っている旅の船にまで響いてきたのであった。
という意味のようです。