監視でテロは防げない!
昨日の毎日新聞「時代の風」に作家の中島京子さんが「テロ等準備罪」(共謀罪)について、一般市民監視の危険性があると述べておられます。
もう3年以上前になりますが、国会で「特定秘密保護法案」が審議されているとき、当時の自民党幹事長・石破茂氏が、議員会館の外で「特定秘密保護法」阻止を掲げデモをしていた人達の事を「~テロ行為とその本質においてあまり変わらないように思います」とブログに書いたそうです。
この時、中島さんは国会前で反対デモに参加しておられたそうですが、石破氏はその「デモ」が「テロ」と変わらないと決めつけ、批判を浴びると一応謝罪するも、続けて「大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れない」と書いていました。
過去3回廃案になった「共謀罪」が、いま名前を変えてよみがえってきたと中島さんが書くと、「そのようなことは全く当たらない」とか「レッテル貼り」だという声が聞こえてきそうだけれど、野党の質問に金田法相が全く答えにならなかったことは記憶に新しい。テロ準備罪をつくらなくても、刑法にすでにいくつもの予備罪を持っている日本は、新しい法律を持たなくても批准できるとの見方も強い。条約批准が主眼なら、まずは今ある法律でできるものをやればいい。
多くの人が、戦前の「治安維持法」のような人権侵害があり、相互に監視し合う社会をつくる法律だと指摘しています。中島さんは、21世紀の私たちの周りには、戦前のスパイや憲兵とはくらべものにならないほど精緻な情報収集システムが構築されている。インターネットや監視カメラは不特定多数を監視する、と危険性を指摘しています。
携帯電話から、自宅のパソコン、タブレットから、いとも簡単に個人情報は抜き取られてしまう。メールもSNSの何もかも筒抜け、丸裸の状態であること。世界中の人を監視できるシステムがあっても「危険な」人の情報を見るだけと思うかもしれないが、しかし誰がその人を危険だと決めるのか。警察や情報機関が、ある人を「危険」と決めたら、その人も周囲も、プライバシーは際限なく暴かれる。「テロ準備罪」はそうした権力にお墨付きを与えてしまう。
オリバーストーン監督が作った映画「スノーデン」では、アメリカの国家安全保障局(NSA)が大手IT企業を通じて、市民数百万人の通話履歴を無差別に収集しているという事実を暴露したようですが、すさまじい監視システムが構築されてからも世界中のテロは収まるどころか増え続けている。「テロ対策」と信じて国家に奉職してきたスノーデン氏がたどり着いた結論は、「監視でテロは防げない」だったといいます。
テロ準備罪は、テロ対策とは名ばかりで、実際には一般市民監視の危険性がたかく、直ちに廃案をと運動を広げることが大切です。