池田茶臼山古墳は全長62㍍の前方後円墳…発掘調査の現地説明会に参加
昨日は、午後、池田茶臼山古墳発掘調査の現地説明会に参加しました。
近年の風雨により浸食が激しくガタガタになっているため、盛土して復元するための事前調査を実施(6月2日から8月末までの予定)、古墳の保存状況や墳丘範囲が確認されたようで、今日は一般公開で調査員の説明を受けました。教育委員会の担当者と調査協力を依頼した関西大学・文学部考古学研究室の学生さんたちが後円部からくびれ部、前方部へと案内されました。
池田茶臼山古墳は、猪名川流域に点在する古墳時代前期(4世紀)の前方後円墳の一つ。1958年(昭和33年)に発掘調査が行われ全長62m、竪穴式石室を有し、埴輪円筒棺、埴輪列も確認されています。管玉やガラス製の小玉も発掘。結構きれいな青色のガラス玉でした。
1958年には、古墳一帯の丘陵地が日本住宅公団により住宅開発が計画され、古墳も破壊の対象になっていたそうです。当時、地元の有志の方々により保存運動が展開され、その結果保存が決まったとのこと。運動が起こらなければ池田で最も古いと思われる茶臼山古墳の存在はなくなっていたでしょう。
今回の発掘調査は、後円部、くびれ部、前方部それぞれの範囲を把握するため、第1トレンチ(南側)から第7トレンチ(北側)を設定し調査が行われました。トレンチとは発掘溝のこと…発掘地域 内に適当な長さと幅をもった帯状の区画を設定し、その部分だけを掘り下げて調査することを意味します。
この調査で、①前方部からくびれ部の墳丘基底部の葺石は、最下段に人頭台の石材を置き、その上は拳大の小さな石材を積んでいる。一方、後円部は前方部のような石材の用い方をしていない。②基底部から外側に約1mのテラスを設けていたこと。③他の前方後円墳のくびれ部と比べ、本墳は明確な屈曲が見られず、また、前方部部分の平面は、後円部から端に行くと若干細くなる形であること。…が分かったとのこと。
これらの調査結果をもとに、復元するための予算が組まれることになります。どのくらいの費用がかかるものなのかよくわかりませんが、専門家である山元前議員に聞いてみましょう(笑)。埴輪って人型のものかと思っていましたが、円筒形の土器のようなものでした。技術的なことを考えるなら人型はもっと後世のものなんでしょうね。ともあれ池田の歴史の一コマを垣間見た一日でした。