語りつぐ戦争、これこそが永遠の命題
地域で赤旗新聞を読んでいただいている家のご主人が6日に亡くなったと聞き、訪ねてきました。
入退院を繰り返しておられましたが、約1ヶ月前に自宅で転倒し骨折で川西の病院に入院してそのまま帰らぬ人となられたとのこと。
奥さんは今年88歳、戦争の悲惨さを伝えねばと、私たちの後援会ニュースにも手記を寄せていただいたことがあります。
今日は、その手記が編集された本をぜひ読んで欲しいと言われ借りて帰りました。2006年12月20日に発行された、朝日放送編・「語りつぐ戦争 1000通の手紙から」(本の上にある写真は手記を書いたKさんの当時の写真)。ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が序文を書いておられます。その一文を紹介しますと、
・・・・・総理大臣が「戦死者の霊を悼む」という一片の言葉で、その実態は明治以来の戦争を推進してきた靖国神社に拘り、いまや戦争を全く知らない世代の政治家が総理大臣と官房長官を務め「憲法改正」を声高に語る。かと思えば同じように戦中・戦後の有力政治家の二世、三世たちが外務大臣や政党幹部として「核保有の議論をすべきだ」と主張する。
北朝鮮の核実験やミサイル発射訓練のニュースを耳にし、中国で日の丸の旗が焼かれるシーンをテレビ画像の中に見る国民の中にも、こうした政治家の発言を受け入れてしまう空気が広がりつつあるのを私は感じる。 危うい。
戦争はいかなる大義名分があろうとも残酷なものだ。悲惨なものである。その被害を受け、ごくごく普通の、名もなき一般市民なのに、その市民が好戦気分に満たされていく。それが明治維新以来の戦争経験で得た私たちの一番大切な“負の記憶“ ― 教訓であるはずなのに、この60年の平和の中で最も大事にしてきたはずの記憶がジクジクと解け始めているのだ。・・・あの戦争は何であったんだろう・・・決して繰り返してはならない・・・負の記憶として語りつぐ戦争、これこそが永遠の命題・・・・ 7年前の文章ですが今も通ずる内容です。
池田のKさんの手記は「フィリピンにいた私たち女子軍属」という題で、女学校に通う友人と軍属志願して南方へ従軍。米軍によりマニラ市街は大空襲をうけ、戦況は日に日に悪化、ルソン島の山中を逃走兵隊の死体のそばに生えた蕨を食べたことなど悲惨な状況を書いておられます。戦争が終わったときには負けてもどうだって嬉しかった・・・と。
あれから60年、無茶な戦争によって犬死としかいえないような比島山中ジャングルでの餓死、病死、銃殺、自殺の兵たちを思うとき、戦争とは一体何のため、誰のためだったのかとつくづく思う・・・と結ばれています。
今また、あの戦争は侵略ではなかったといい、憲法を変え戦争できる国づくりを狙う政権が、数の力で押し切ろうとする危険な状況にあります。
これで良いのか! 目前に迫った参議院選挙で戦争ノー、憲法改悪ノーと国民の意思を示す時です。