東日本大震災支援報告
大阪市内の診療所に勤務している娘から、医療生協の職員の方たちと宮城県亘理郡山元町に支援物資を持ち、生活支援行動に参加してきたと報告がありました。
行程は27日の金曜夜出発で名神、北陸道、常越道、東北道と車で13時間かかったそうです。28日一日限りの支援行動は被災社宅を訪問し「聞き取り」を行い瓦礫の撤去や泥出しの仕事など生活支援をしてその夜台風が近づく大阪に向かって帰路に着き日曜の朝帰り着いたそうです。
ハードな行程はひざが痛い、腰が…などと言っている私にはちょっときつそうで、足手まといになりそう。と言うと「話を聞くだけでも喜ばれるんだよ」とのこと。
山元町・花釜地区は、海岸から約2kmの距離にありすべて津波で浸かった地域だそうです。訪問した家では一旦海水や泥水が入った家はどんなに掃除をしてもきれいにはならず、壊すしかないと言っておられたそうです。
救急患者のトリアージのように、赤のマークの家は取り壊す家、黄色は改装が必要な家、青は再び住める家と仕分けされているそうです。赤の家は危険なので立ち入らないようにと言われていても、結構荷物を取り出しに入っていかれるとの事。
3月の支援時には瓦礫でいっぱいだった街も、支援の力で撤去が進み走りやすくなったそうです。(左の写真は3月)しかし義援金はいまだに届かず、物資もほとんど届いていないとか。「とにかくお金が欲しい」「掃除機や清掃道具が欲しい」「瓦礫の撤去を手伝って欲しい」などの声が寄せられたそうです。自転車を届けるととても喜ばれすぐに乗って走り中々帰ってこられなかったとか。
JR常磐線・坂元駅は連絡通路が大きくゆがみ駅舎は形すらなく看板だけ、が残っていたそうです。
海岸側は家も流され何にも残らず見渡す限り原っぱのようだったとの感想。
全国的には多額の支援金や物資が届けられているはずなのに2ヶ月過ぎてもまだ届かない、政府の支援が進まないのは何故なんでしょう。地元では待ちわびているのに…。
現地への支援も計画的に続けられていますが、まだまだ時間がかかりそうです。ボランティア参加者のみなさんお疲れ様でした。