藤原みち子の活動日記

michikof.exblog.jp

“子どもたちに笑顔、若者に夢、高齢者に安心を” 日本共産党池田市会議員・藤原みち子の活動日記 e-mail : m_fujiwara@wombat.zaq.ne.jp

2017年7月21日(金)

c0133422_13501936.jpg 暑中お見舞い申し上げます。連日暑い日が続いております。熱中症も増えていますのでご注意下さい。

 さてお中元シーズンで田舎から愛媛のかまぼこやてんぷらが届き、懐かしい味にほっと一息ついていますが、私からはいつも夏は桃を送ることに決めており昨夜もそれで千葉のいとこと長話。

 桃にもいろいろ産地がありますが、私は近畿ですから和歌山のあらかわの桃をよく送ります。先日消防長から「あらかわの桃の原木は池田なんですc0133422_13505432.jpgよ」と聞きました。

 確かに池田には桃園という地名があり、池田市歌の3番に「梅かおり桃咲く中に 幸ぞ野に山にあふれる池田♬」とあります。昔先輩議員が畑の梅林と呉服の里の桜並木を守り…と演説されたことを思い出しますが、梅は水月公園にも梅林があり毎年見に行きます。でも桃はどこ…? 

 早速.ウィキペディアを開いてみると、何でも載ってますね~。

c0133422_13511836.jpg あら川の桃は、和歌山県紀の川市桃山町で生産されている桃の代表的なブランド。1994年(平成6年)7月29日に「あら川の桃」および「あらかわの桃」の名称が特許庁に商標登録されている。
安楽川地区(安楽川荘)での桃栽培は、1782年(天明2年)に摂津国池田荘(現在の大阪府池田市)より桃樹を導入したことに始まるとされている。その後、桃の栽培に適した排水の良い砂質土と紀の川の恵まれた水源に加え、温暖な気候等により、栽培面積は増加した。また、その間、栽培技術の向上や品種の研究により非常に高質な桃が生産され、明治時代以降は「あら川の桃」として和歌山市場を中心に販売されていたが、交通機関の発達により大阪を中心とした関西市場をはじめ、一時は北海道にまで販路を拡大した。
 平成に入り市町村合併が進むなか、歴史ある「あら川の桃」を発展させるため、1994年に商標登録が行われた…と出ているではありませんか。

 また広報にも載りましたよと言われ、2012年4月号の「広報いけだ」の記事を探していただきました。おかえりなさい—桃の木の里帰りに見る桃の歴史—という記事。

 紀の川市粉河支所のブログに池田の桃の木のことが書いてあると消防長(やっぱり情報源は同じでした)に聞き現地までいかれたそうです。貴志川支所の教育委員会に文献があるらしく、取材の中でウイキペディアの記事と同じように摂津の国池田庄より桃樹を導入したことに始まり、紀の川流域の砂れき畑にほとんど自生の形で植えられた(??)と文献に記されていることが紹介されています。

 また、桃園という地名についても、大正から昭和の初期にかけて「室町の四季」の一部に、「小川の水の温むころ、2階の窓からはるか南に桃畑や菜の花畠が望まれて、たなびく霞の下にピンクと黄緑の裾模様が色を添えている様は、一双の屏風に描かれた春景色と紛らう美しさである」と表現されているそうです。昭和初期の地図には、ダイハツから八坂神社方面にかけては果樹園の記号がたくさん入っているとのことですから、この辺りが桃園の地名の由来かもしれませんね。

 池田からお嫁入した桃があらかわの桃となり、池田市政70周年には里帰りして桃の植樹が行われたようです。ロマンですね~。

 
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# by michiko_fujiwara | 2017-07-21 13:52
2017年7月21日(金)

c0133422_13452362.jpg 暑中お見舞い申し上げます。連日暑い日が続いております。熱中症も増えていますのでご注意下さい。

 さてお中元シーズンで田舎から愛媛のかまぼこやてんぷらが届き、懐かしい味にほっと一息ついていますが、私からはいつも夏は桃を送ることに決めており昨夜もそれで千葉のいとこと長話。

 桃にもいろいろ産地がありますが、私は近畿ですから和歌山のあらかわの桃をよく送ります。先日消防長から「あらかわの桃の原木は池田なんですc0133422_1346034.jpgよ」と聞きました。

 確かに池田には桃園という地名があり、池田市歌の3番に「梅かおり桃咲く中に 幸ぞ野に山にあふれる池田♬」とあります。昔先輩議員が秦野梅林と呉服の里の桜並木を守り…と演説されたことを思い出しますが、梅は水月公園にも梅林があり毎年見に行きます。でも桃はどこ…? 

 早速.ウィキペディアを開いてみると、何でも載ってますね~。

c0133422_13463244.jpg あら川の桃は、和歌山県紀の川市桃山町で生産されている桃の代表的なブランド。1994年(平成6年)7月29日に「あら川の桃」および「あらかわの桃」の名称が特許庁に商標登録されている。
安楽川地区(安楽川荘)での桃栽培は、1782年(天明2年)に摂津国池田荘(現在の大阪府池田市)より桃樹を導入したことに始まるとされている。その後、桃の栽培に適した排水の良い砂質土と紀の川の恵まれた水源に加え、温暖な気候等により、栽培面積は増加した。また、その間、栽培技術の向上や品種の研究により非常に高質な桃が生産され、明治時代以降は「あら川の桃」として和歌山市場を中心に販売されていたが、交通機関の発達により大阪を中心とした関西市場をはじめ、一時は北海道にまで販路を拡大した。
 平成に入り市町村合併が進むなか、歴史ある「あら川の桃」を発展させるため、1994年に商標登録が行われた…と出ているではありませんか。

 また広報にも乗りましたよと言われ、2012年4月号の「広報いけだ」の記事を探していただきました。おかえりなさい—桃の木の里帰りに見る桃の歴史—という記事。

 紀の川市粉河支所のブログに池田の桃の木のことが書いてあると消防長(やパリ情報源は同じでした)に聞き現地までいかれたそうです。貴志川支所の教育委員会に文献があるらしく、取材の中でウイキペディアの記事と同じように摂津の国池田庄より桃樹を導入したことに始まり、紀の川流域の砂れき畑にほとんど自生の形で植えられた(??)と文献に記されていることが紹介されています。

 また、桃園という地名についても、大正から昭和の初期にかけて「室町の四季」の一部に、「小川の水の温むころ、2階の窓からはるか南に桃畑や菜の花畠が望まれて、たなびく霞の下にピンクと黄緑の裾模様が色を添えている様は、一双の屏風に描かれた春景色と紛らう美しさである」と表現されているそうです。昭和初期の地図には、ダイハツから八坂神社方面にかけては果樹園の記号がたくさん入っているとのことですから、この辺りが桃園の地名の由来かもしれませんね。

 池田からお嫁入した桃があらかわの桃となり、池田市政70周年には里帰りして桃の植樹が行われたようです。ロマンですね~。

 


 
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# by michiko_fujiwara | 2017-07-21 13:47
2017年7月17日(月)

c0133422_2362424.jpg 議員団に市内施設見学3か所目は、五月丘にある障害福祉サービス事業所「池田市立くすのき学園」。

 18歳以上の知的障害のある方が、自立生活に必要な訓練を行い、職業を通して自立することを目的に昭和60年5月1日に開設。平成15年4月に「社会福祉法人産経新聞厚生文化事業団」へ委託。平成16年4月から指定管理の指定を受け現在3期目。平成20年10月1日からは障害者自立支援法に基づく「障害福祉サービス(多機能型)事業所として多様なサービスを実施しているとのこと。
c0133422_2371178.jpg現在の利用者さんは18歳~31歳まで、男性28名女性7名が通っています。

 提供するサービスは、生活介護・就労移行支援、就労継続支援(B型)。

 生活介護は常時介護が必要な重度の方の事業で、園内にある農園での野菜や果樹の栽培し、学園の門の前で近所の方々に販売。ダイハツ自動車から受けた部品の包装作業、公園の清掃作業、バンセイのポスティング、アルミ缶の回収など、定員17名に対し20名が働いているそうです。

c0133422_2384856.jpg 就労移行支援事業は、一般就労を希望し、知識・能力の向上、実習職場探しなどを通じ、適性に合った職場への就労等が見込まれる者で定員は6名、うち3名は離職された方が在籍しているという状況。市役所で6年勤務している人もいますが、障害者を雇うと国が補助金を出す仕組みですが、2年間だけのため、続いて補助金をもらいたい事業者としては、2年で社員を入れ替えることになりなかなか定着できない仕組みになっています。2年と言わずずっと雇えるよう補助金を継続すべきです。

 法律では、健常者とわけ隔てのないように一定の支援をすることでc0133422_23103832.jpg普通の生活が出来る様に、としていますが、実質的にはまだまだ差別がはびこっています。民間事業者になれば、利益を優先することになりますから、その中で自分の就職先を持続させるのは並大抵ではありませんね。

 当初、この地に建設されるとき近隣の反対が多かったと聞いていますが、32年間の活動が、障害に対する偏見をなくし地域での信頼と協力を得ている様子でした。

 平成31年4月には少し山手の国有地に、保育所と隣り合わせで建設・移転とc0133422_23114030.jpgなりますが、今よりも拡充される予定です。拠点となるべき施設としての機能を兼ね備えてほしい、もっと雇用の場を提供できる施設であってほしいと思います。
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# by michiko_fujiwara | 2017-07-17 23:59 | 議員活動
2017年7月15日(土)

c0133422_237570.jpg 議員団の市内施設見学、2ヵ所目は児童発達支援センター「池田市立やまばと学園」を訪問。

 やまばと学園は昭和46年4月に「精神薄弱児通所施設」として開設。当時は4歳から12歳までの発達遅延児を対象にに療育を開始しましたが、昭和49年4月に就学年児が養護学校や養護学級に入り就学前児のみとなりました。平成11年7月に「知的障害児通園施設」となり平成25年4月からは児童福祉法の一部改正により「児童発達支援センター」となり、地域に住む障害児も利用できるようにしたとのこと。
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 この間保育所で障害児保育の実施に伴い、2歳児より受け入れ開始。言語発達相談、理学療法士による機能訓練、親子教室、スポーツクラブ、キッズクラブなど発足。
 指定障害児通所支援事業として、3~5歳まで・週5日通園(3人×3クラス)の児童発達支援事業と、おおむね小学2年生までの放課後等デイサービス、平成27年4月からは待機児童解消のため、1歳児は週1日通園、2歳児は週2日通園クラスが発足、1~2歳児を対象にひまわり親子教室も週1回開催され、入園までの療育見極めのための教室となっているそうです。
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 子どもたちの発達に合わせて、保育士(10名)、心理相談員(2名常駐)、言語聴覚士(1名・週1回)、作業療法士(1名常駐)、医師(児童精神科、小児科、内科、歯科)や看護師などいろいろな宿主が連携し合いそれぞれの立場から療育援助を行っているようです。

 c0133422_2414924.jpg 教室には、一人ひとりの状況に応じた1日の過ごし方を分かりやすく絵にして手を洗う、歯みがきをするなど習慣づけをさせている様子が見て取れます。給食も食べられない子どもがいると聞いていましたがこの日は美味しそうに食べていました。

 ご近所との関係も良好とのことでした。今度は保護者の方の声も聞いてみたい、私たちには分らないご苦労や悩みもあるでしょう。政治がどう手助けをすればいいのか、一人ひとりが尊厳を持った生き方が出来る様にするために…。
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# by michiko_fujiwara | 2017-07-16 02:46 | 議員活動
2017年7月12日(水)

c0133422_2171565.jpg 昨日は、議員団で市内の施設を訪問。

 午前中は、石橋南小学校に隣接するなかよしこども園と旭丘にある児童発達支援センター、午後は五月丘のくすのき学園と東山町の東山作業所へと、石橋から北部まで車を走らせました。

 なかよしこども園は、もともと幼稚園と保育所が隣り合わせに設置され塀で仕切られていたそうです。かつては、すべての小学校区に公立の幼稚園と保育所があるという全国的にも優れた施策が行われていましたが、幼稚園をc0133422_2183585.jpg4つに統廃合し、保育所も民営化が進められ公立は4保育所に。さらに今後五月丘保育所の民営化、呉服保育所がひかり幼稚園の隣に移転し認定こども園になる方向性が出されました。

 そのさきがけとなったなかよしこども園は、10年前に2つの間の塀を取り払い、幼稚園教育要領と保育指針の統一カリキュラムで実施されています。ですから園庭は2つあり、幼稚園の園舎と保育所の園舎が別々にあります。4~5歳児は午前中一緒に過ごし、午後からは保育所の児童はお昼寝し、その間に幼稚園の子どもたちはお迎えに来られるようです。お迎えの門は別にc0133422_2224624.jpg開けられるそうです。

 以前幼稚園の先生に聞いたことがありますが、子どもたちをお昼で送り出すと、午後は翌日の教材の準備などがあるとおっしゃっておられました。しかしこども園では、保育士さんも幼保両方の資格を持ち、4~5歳児の先生は、午前中幼稚園のカリキュラムで過ごし、午後は保育をすることになります。

 幼保それぞれの一日の過ごし方が違うため、先生・保育士さんたちも大変だったのではないかと尋ねますと、幼稚園教諭は一日中子どもをc0133422_225917.jpgみなければならないことに戸惑い、保育士は、研究保育を深めることに戸惑っておられた様子。だいぶん慣れたとのことでしたが、3年間は大変だったとおっしゃっておられました。幼稚園に相当する1号認定児は「にじ組」,保育所児童に相当する2~3号認定児は夜のお迎えになりますから「ほし組」としたそうです。フリーの先生は年少2人、年長さん担当に1人おられるとか。

 幼稚園は校区が一つのため通園バスはありませんが、保育所は待機児童対策のためライオンズマンションにあるもりもりキッズから送迎バスが来ますので、その受け入れや、事故などの場合は保育士さんがバスに乗っていって保護者にc0133422_2273357.jpg報告をされるそうです。

 今は文科省と厚労省に報告書類を送らなければならないため、先生方は他の幼稚園や保育所ではしなくていい事務仕事までしなければならず、本来の子どもの教育や保育に携わる時間が削られます。認定子ども園になれば、内閣府(?)だけへの報告になるようですが、園長さんや副園長さんのように管理職の方の仕事が、子どもの総合的な見守り責任のみならず事務作業に追われていては本来の仕事に専念できないような気がします。それって市役所の仕事を肩代わりしているんじゃないの?

 いずれにしても、先生方は口にはされませんでしたが、先生方の努力(負担増?)で、子どもたちに変わりない保育をキープ出来ているのではないかと思いました。
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# by michiko_fujiwara | 2017-07-12 23:58 | 議員活動
2017年7月10日(月)

c0133422_045734.jpg 核兵器禁止条約が7日(この日はちょうど平和行進が池田を通過し兵庫県・川西市へ引き継がれた日)、ニューヨークの国連本部で開かれていた「交渉会議」で、122ヵ国という圧倒的多数の賛成で採択されました。オランダが反対、シンガポールが棄権したとか。これは国連加盟193か国の63%にあたるもの。

 人類史上初の核兵器禁止条約の採択は、日本の被爆者をはじめ「核兵器のない世界」を求める世界各国とその多くの人々の多年にわたる共同の取り組みが実を結んだものと言えます。広島・長崎への原爆投下から実に72年。条約の前文では、核兵器の非人道性を厳しく告発し、核兵器による惨害を防ぐ唯一の確実な道として核兵器の廃絶の必要性を謳っています。

 唯一の被爆国である日本政府こそが、この条約に率先して参加し賛成すべきであったのに、参加しないと表明したことは実に情けない。

 おりしも池田市議会では6月議会最終日の27日、「核兵器禁止条約」の実現を求める意見書(案)を全会一致で採択しました。日本共産党が提案し、一部修正を加えて採択しました。その全文は次の通り。

          「核兵器禁止条約」の実現を求める意見書(案)

 「核兵器禁止条約」は、核兵器の全廃と根絶を目的として起草された国際条約である。
 今年3月27日から31日まで、ニューヨークで開かれた「核兵器禁止条約の国連会議」(第1会期)は、参加国115ヵ国を超え、各国政府と「市民社会」(NGOなど)によって構成され、戦後の国際政治の上でも、文字通り画期的、歴史的な意義を持つ会議となった。
 昨年4月、広島で行われたG7(主要7ヵ国)外相会議で、日本は他の核保有国や各依存国と共同して、「我々は、核兵器を二度と使われてはならないという広島及び長崎の人々の心からの強い願いを共にしている」との宣言をを世界に発信した。この宣言を胸に、日本政府は今こそ同会議への参加に踏み切るべきだった。
 また、唯一の戦争被爆国である日本政府の「不参加」表明は、各国の政府代表から強い批判と失望がもたらされた。その中で、日本政府に代わり「市民社会」代表の被爆者の訴えが各国政府にも大きな感動を呼び、国内外の被爆者9人が呼びかけた「すみやかな核兵器を廃絶を願い、核兵器を禁止廃絶する条約を結ぶこと」を求める被爆者国際署名にも期待が寄せられた。情勢は、日本政府が被爆国にふさわしい役割を果たすことを強く求めている。
 国連会議は第1会期では、すべての参加者が条約締結への断固とした強い支持を表明した。5月22日に示された条約草案は、広島や長崎を念頭に「核兵器の犠牲者(被爆者)の苦しみを忘れずに」と盛り込むなど、核兵器の非人道性を強調し、核兵器の使用。開発、保有、供与をすべて禁止する内容が記載されている。
 6月15日に始まった第2会期では、条約草案に対する評価と、会期内の採択を達成する決意が相次いで表明されており、核兵器禁止条約」採択への強い流れが出来ている。
 よって、本市議会は、今こそ政府が「核兵器禁止条約」の実現のため、核兵器を禁止し、廃絶する条約締結に条約締結にむけてイニシアチブを発揮するよう強く求める。

 以上、地方自治法第00条の規定により意見書を提出する。

 平成29年6月27日
                                       池田市議会

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# by michiko_fujiwara | 2017-07-11 00:54 | 平和へ
2017年7月9日(日)その2

c0133422_121711.jpg 「市民安全のつどい」第2部は特別公演。

 「子どもが安心して暮らせるまちづくり」と題して、千葉大学大学院園芸学研究科の木下勇教授。一般社団法人の子ども安全まちづくりパートナーズ、ユニセフの子どもにやさしいまち・国際諮問委員という顔もお持ちです。

c0133422_1215560.jpg 講演内容は、「地域の防犯活動で私たちにできること」、そのヒントは、子どもと一緒に考えること。防犯活動をふだんの活動にすること。どのように人のつながりをつくるか。安全・安心は人のつながりで。

 子どもは情報を沢山持っており、思わぬ行動をするし、違った視点を発見させてくれるので一緒の町を歩き考えること。そのためには、子どもとして扱うのではなく(大人から子どもを見下ろすのではなく)場合に応じて地域の一員として関係づくりをすることが重要。また、子どもは地域社会の一員としての役割を果たすきっかけづくりとなり、特に子どもと大人の中間にいる中高生と関係をつくることがカギとのこと。

 子どもの成長と安全のためには、子どもの成長を妨げないこと(子どもの目線に立つ)。危険だからと、過剰に保護され、失敗の経験もない子どもは、リスクマネジメント・危険に対する対処能力が遅れてしまうと指摘されます。子どもは、ファンタジー的、自己中心的、非可塑的、魔法的、トンネル思考という独特な思考を持つため、世田谷では、不審者ごっこを考えついたそうです。不審者とそうでない人に分かれて、不審者に連れていかれないように逃げる…TVの「逃走中」に見立て、行動や不審者の中でもいい人と悪い人を見極めるゲーム…中高生が考え出した鬼ごっこの変形「不審者を探せ」など遊びの中からリスクマネジメントを身につける、といった例を紹介されました。

 割れ窓理論…小さな迷惑行為がやがて重大犯罪を招く。例えば、1台の自転車を放置したことで更なる放置自転車が増える、放っておくと「何をやってもいいんだと無秩序な雰囲気が生まれ犯罪がおこりやすくなる、そして重大な犯罪が起こる可能性が高くなることを割れ窓理論というそうです。

 防犯活動をふだんの活動にしていくことが大事ですが、地域イベントに防犯まちづくり活動を組み合わせることで相乗効果がおき省力化につながるとのこと。マンネリに陥らず常に点検することも大事ですが、便乗するときは防犯効果にはあまりこだわらず参加しやすく楽しさに重きを置くことが良いんだとか。子どもたちと定期的パトロールでお菓子がもらえたり、花の管理などで外に出て外に目が行く事、みんなで鍋囲むなど人のつながりを広げるなど、普段の防犯活動が自治会間の連携につながる活動している、市川市や松戸市の例も紹介。

 松戸市の小金地区は宿場町で水戸光圀のゆかりの地。どこの宿場があったのか、歴史の勉強から始まって「わくわく探検隊」が街を探検・点検します。立派な庭を訪問するわくわく探検隊もできました。高齢者ばかりで庭の柿も放置している家と相談し「柿泥棒大会」を取り組んだことから、人のつながりへ、まちづくりへ、地域連携へ歴史を生かした世代継承の持続的なまちづくりへと展開されているようです。

 わくわく探検隊は19年になるそうですが、15年目から地域主導から小学校6年生が企画する学校行事になっているそうで、アンケートによるとわくわく探検隊でこの町がいっそう好きになったと答え。好きになった子はまちづくりに参加したいと思い、参加したいと思う子は将来もこの町に住みたいと思うと答えているのが、この取り組みの成功を物語っているようです。

 まとめとして、防犯からまちづくりへ

1、子どもとともに…楽しさ、世代のつながり、子ども自身の防犯力を高める。
2、防犯活動をふだんの活動に…地域で行われている防犯活動を、地域住民や子どもたちとの交流の場として広げていく。地域の他の課題、防災、高齢者ケア、子育てにつなげていく。地域の他の行事に関わり、つなげていく。
3、どのように人のつながりをつくるか…閉じた各家をノックして開けていく。困っている部分に助けを求める。まちの面白オジサン、おせっかいおばさんで良い。

でした。何だか、地域コミュニティの活動がこんな感じになればいいのにと思ってしまいました。
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# by michiko_fujiwara | 2017-07-10 01:22 | 議員活動
2017年7月9日(日)

c0133422_19412040.jpg 昨日7月8日は「市民安全のつどい」。例年ですと、水月公園のモニュメント前でテントを張り野外での式典ですが、今年は水月児童文化センターで開催されました。

 早くも16年前となる2001年6月8日、8人の幼い命が奪われました。その1か月後の7月8日、教育大付属池田小学校児童殺傷事件を悼み、池田市が「誓いの言葉」を刻んだモニュメントを建立し、それ以降毎年「市民安全のつどい」が開催されています。

 開会宣言、主催者あいさつ、来賓あいさつ・紹介が続いた後、池田ジュニア合唱団のみなさんが「池田市歌」と「The Lord bless you and keep you」(作曲:John Rutter)を歌ってくれました。さらに、水月児童文化センターのイングリッシュクラブの児童(小学生)が審良彰子さんのフルート演奏をバックに「誓いの言葉」を朗読(和文を読んで英訳c0133422_19434062.jpg文を読む)。

 誓いの言葉は次の通り(公園にあるモニュメントに刻まれています)

              
            誓いの言葉

 
       2001年6月8日を 私たちは忘れない
 
       緑豊かな  静かなまちで  それは起こった
       豊かさを追い求め  平和な時間が流れる中で
       幼い8人の命と  まちと
       人々の心が  一瞬のうちに砕かれた
 
       先人たちが育み  守ってきた
       自らを守る組織や  慣習のもろさを
       私たちの地域社会がはらむ無防備さを
       幼い8人の犠牲に思い知らされることになった

       このまちで再び悲劇を許してはならない
       安全な社会を築きあげる大切さを
       あらためて心に銘じなければならない

       私たちは  ここに誓う

       暴力、犯罪、交通事故、災害などあらゆる惨禍を未然に防ぎ
       地域の安全を守っていくために努力することを
       安心して住める社会の大切さを
       多くの人に訴えていくことを

                            2001年7月8日
                           池田市民安全大会

 
  当時私は、まだ池田民商に勤務中で、ヘリコプターの爆音におもわず外へ飛び出すと、上空では何機ものヘリコプターが飛んでいました。会員さんから「TVつけて!」と電話が入り電源を入れると、池田小学校で刃物を持った男が児童を殺傷しているとのニュース。その割にヘリコプターは離れているなと思ったら、市役所横の市立池田小学校ではなく、緑丘にある大阪教育大学付属池田小学校でした。その日は仕事にならなかったことを覚えています。

 この後、「だれでも自由に出入りできる開かれた学校」に門が閉ざされ、オートロックで閉ざされ学校警備員が配備されましたが、大阪維新の会の橋下知事(当時)が学校警備員の予算を廃止してしまいました。池田市ではシティガードと合わせ、登下校時には警備員さんが付けられるように努力していますが、社会情勢の悪化で治安が不安定になっている中、顔見知りの警備員さんがにっこり声をかけてくれるその役割はとても大事だと思います。

 政治・行政の役割は何よりも、国民・住民の命を守ること。一人ひとりがお互いを思いやれる余裕の持てる生活環境が必要です。

 
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# by michiko_fujiwara | 2017-07-09 19:50 | 議員活動
2017年7月7日(金)

c0133422_1312719.jpg 今日は7月7日、七夕の日。池田は平和行進です。池田から川西へ、大阪府から兵庫県へと引き継ぐ大切な節目の日です。朝、豊中からスタートし、途中で箕面からの行進者も合流して午前11時に池田市へ。少し早めに集まった池田市民がうたごえで歓迎。

 池田集会は11:15から市役所前で始まり、市長の歓迎あいさつを市長公室長が代読、市議会からは山田議長が「今日は国連で核兵器禁止条約が採択されようとしているが、池田でも6月議会で核兵器禁止条約の採択を求める意見書を全会一致で採択した…」と紹介すると参加者から拍手がわきました。

c0133422_1455288.jpg 通し行進者が紹介され、全国の行進者、府内の行進者が挨拶。中には国際青年リレー行進者のアブザル・マカクワ・サリクさん(フィリピン。ミンダナオ島)も英語であいさつされました。

 ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア被爆者とピースコールをしながら川西市役所へ。 川西では大きな折鶴が登場したり、小さな保育園児がピースサインで出迎えてくれたり、うれしい驚きの中で横断幕が兵庫に引き継がれました。   

c0133422_1584313.jpg 池田と川西の境界は猪名川の真ん中。橋の中央では兵庫県警が一足先に大阪府から引き継ぎ。いつも思うんですが、大阪ではデモ隊は車と同じで車道を通らなければなりませんが、川西に入った途端に歩道へ移動。兵庫ではみんなそうなんですかね(;'∀')

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# by michiko_fujiwara | 2017-07-08 02:03
2017年7月5日(水)

c0133422_1445784.jpg 今日の赤旗新聞に、銃剣道の訓練中に自衛隊員が2名死亡していたとの記事がありました。

 災害の概要は「木銃で疲れたことによる衝撃を受け、死亡に至った」ということらしい。防衛相の担当者は、「資料が残っていないので詳細は分からないが訓練中なので防具はつけていたと推測される」と話しているそうです。

 銃剣道は、文科省が中学校の「保健体育」の武道で選択種目に突然含められることになりました。3月に文科省が告示した新中学校学習指導要領に突然明記されたもので、私も、このことを取り上げ6月議会の一般質問で池田市の教育委員会として、銃剣道をどう考えているのか質問しました。

 池田の中学校では5校とも柔道を選択しており、当面変えるつもりはないとのこと。一安心ですが、自衛隊では、昨年1年だけで、銃剣道の訓練中に負傷し、公務災害だと認定された件数は59件もあるそうです。銃剣道は相手ののどや左胸などを突く競技で自衛隊関係者からも「学校で絶対教えるものではない」と不安の声が上がっています。

 そもそも銃剣道は、明治以降に軍事教練として発展してきたもの。戦後、銃剣道連盟が発足して、短武道やスポーツと同じように発展してきたといわれていますが、多くの銃剣道家と言われる人たちは自衛隊員で、自衛隊の軍事教練に通ずる武術という側面を色濃く残しています。

 技の主体が「突き」だということも問題です。剣道にも「突き」がありますが、危険なので中学生の技としては禁止されています。それなのに銃剣道で「突き」を教えるなど考えられません。暴力の一手段として使う生徒が出てくる可能性もあります。

 一昔もふた昔も前の日本の戦争を思い出させる銃剣道を何故学習指導要領に持ち込んだのか、文科省の真意も疑わざるを得なくなります。

 道徳の教科化と銃剣道や教育勅語を取り入れてもいいということなど、教育がまたまた戦争に利用されようとしているのか、あの戦争の反省はもうすっかりお忘れになっているようで、教育の独自性も揺らいでいます。今は活用しないということですが、そのことをきっちり守らせることが大事です。
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# by michiko_fujiwara | 2017-07-06 01:48 | 教育

“子どもたちに笑顔、若者に夢、高齢者に安心を” 日本共産党池田市会議員・藤原みち子の活動日記 e-mail : m_fujiwara@wombat.zaq.ne.jp


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