がんがら火祭りで、いよいよ夏も終わり?
今日は地蔵盆、市内あちこちの社で提灯が並びお菓子や果物など沢山供えられていました。
昔、我が家の子どもたちもお菓子を貰って喜んでいたものです。“がんがら火祭り”も“大文字焼き”も“花火”もみんな24日に行われて、子どもが小さい間は“花火”を、大きくなるとどちらも見える場所に行き、子どもがついてこなくなると大人だけで“がんがら火祭り”にと選択していったものです。“花火”が別の日に切り離されて、今ではどちらも見ることはできますが、わざわざ人ごみの中へ出向くのが億劫になってきました。
今年の“花火”は家で屋根の上にかすかに見えるのを確認し、音だけ聞いていました。今日の“火祭り”は通りすがりに燃え盛る松明を、人の頭越しに覘いて帰りました。
昔は歴史と伝統、勇壮さを感じたものですが、ケーブルTVが入り、マイクで説明をされているのを聞くとなんとなく違和感を憶えました。観光化されてきて「軽い」というか重厚さが薄れたような気がしたのは私だけでしょうか?
しかし、多くの方たちの支えでこの伝統行事が続けられていることに敬意を表したいと思います。
もう一つ残念なのは、大文字焼きが見れなかったこと。これも高い建物が多くなり、以前はどこからでも五月山を見上げれば大の文字と大一の文字が見えていたのに山が隠れてしまって、帰る道すがらでは見ることができなくなりました。
昔は高さ制限があって、高い建物は限られており、それが五月山を背景にした池田の街の景観を守ることにもなっていたんですね。せっかくの大文字焼きが見られなくて残念です。
火祭りでひと夏の終わり・・・というところでしょうか?