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藤原みち子の活動日記

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水爆実験60年目の真実~広島が迫る埋もれた被ばく…NHKスペシャル

2014年8月7日(木)
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 NHKスペシャル「水爆実験60年目の真実~広島が迫る埋もれた被ばく」を見ました。資料提供の中に民医連の名前も発見。

 広島、長崎の原爆投下から9年後の1954年3月1日、アメリカは太平洋ビキニ環礁で水素爆弾の実験を行いました。威力は広島に投下された原爆の1000倍。大量の放射性降下物、いわゆる死の灰が周辺に振ります。この160キロ離れた水爆実験60年目の真実~広島が迫る埋もれた被ばく…NHKスペシャル_c0133422_111941.jpg海で日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が操業していました。23人の漁船員全員が被ばく。半年後無線長の久保山愛吉さんが無くなりました。

 水爆実験は2カ月半で6回、周辺には数多くの漁船が操業していました。しかし、日本政府は他に漁船員が被ばくしたとは認めませんでした。翌年アメリカからから200万ドルの見舞金をもらってこの問題を終えたのです。
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 それから60年。広島の科学者たちが「第五福竜丸」以外の漁船員の被ばくを初めて明らかにしました。被ばくの痕跡が血液から次々と見つかりました。さらにアメリカでも新たな事実が判明、公開された報告書から漁船員たちの被ばくの記録が明らかとなったのです。死の灰を浴びた可能性のある漁船は100隻近くにのぼるそうです。国家の思惑の陰で亡き者にされた被ばくの真実を広島の科学者が解き明かそうと、漁船員の追跡調査が行われました。

 高知県の高校教師・山下さんが25年前高校の生徒たちと行った一つの調査が出発点となりました。地元の漁師からビキニ周辺で操業していた船が港の近くに捨てられていると聞き、放射線量を調べてみることにしたのです。実験から30年以上たっているにもかかわらず、毎時1.5マイクロシーベルト(自然界の37倍の放射線量)が検出されました。漁船員はどうなったのか、204人の実態調査を行うと、結果はガンなどの病気で全体の3割・61人が亡くなっていました。そのうち白血病で亡くなった人が3人もいたのです。その後も次々とがんや白血病など発症しましたが原爆症だと認定されませんでした。

 そこで、広島の科学者たちがこの間積み上げてきた技術で人々の体に残る放射線の痕跡を追及し、解明するため、歯に注目。他の細胞は絶えず入れ替わりますが歯は入れ替わらないためエナメル質の異常を調べ、浴びた放射線量を導き出すというもの。多くの漁船員の家を回りますが、60年の空白が調査の前に立ちはだかります。

 この中で、実は被ばくした直後に国による放射線検査が行われていたという事が明らかになりますが、検査だけでその後何の音沙汰もなし。漁船員たちも自らの生活を守るため、被ばくをひた隠しにしてきました。当時の資料を探しても、船体や魚から出たデータはありましたが、体の記録は残っていないと言われたそうです。記録がないことを理由に、国はその対応を拒ました。

 高知県室戸市の遠洋マグロ漁船・第二幸成丸は、ビキニ環礁から1300キロのところで2回目の実験に遭遇します。その時乗っていたのは、平均年齢25歳、乗組員20人。漁船員は次々と亡くなり、今生き残っている人は3人だけ。
 第五明賀丸は1300キロの海域にありました。一緒に乗っていた2つ上の兄が皮膚がんで亡くなったという人の歯が提供されました。結果は414ミリシーベルト。日常生活の被ばく(自然に浴びる放射線や医療被曝)を差し引くと319ミリシーベルト。

 これは広島の被ばく者が爆心地から1.6キロの範囲で被爆し被ばく者として認定されて来た人たちと同様だとか。広島で認定されているのに漁船員は認定を拒否。歯だけではなく血液検査からも染色体の異常を見つけました。データを積み重ねついに体のわずかな痕跡から被ばくを明らかにしました。

 そして、アメリカが発表した報告書の中から漁船員の被ばくデータが明らかになりました。問診の記録も残っており14人の体から放射線の検出がなされていました。被ばくの影響はつかんでいたんです。しかしアメリカも日本も隠していました。核実験の邪魔となる不都合な記録は極秘とされていまたんです。厚生省がまとめた検査報告書にも魚、船、人体の記録がありました。何度問い合わせてもナイナイと言ってきたものです。

 アメリカが日本に対し秘密工作を行っていたことも明らかとなりました。第五福竜丸の被爆が反米運動をおこし「日本の放射能パニックが共産主義勢力に絶好のチャンスを与えてしまっている」として他の漁船のデータを極秘扱いにしたのだとか。
 そして原子力の平和利用、夢のエネルギーにも使えると宣伝をし、水爆実験の矛先をかわそうとしたのです。実験から2年後、広島で原子力の平和利用博覧会を開くことを日本政府が受け入れています。これを機に多くの魚船員の被爆は放置されたのです。

 実験の後、日に日に放射線の影響は広がり続けたにもかかわらず、130隻を超える漁船に対し政府は操業を止めることなく放置してきたということも明らかとなりました。早くから対応していれば被害を広げることもなく、医療などもっと適切な手当ても出来たのではないかと悔やまれます。

 広島の科学者たち調査プロジェクトは厚労省を訪ね、早急な調査を求めました。担当者は「資料が残っているかどうか調べる」とだけ答えたそうです。60年目にしてようやく明らかになった事実。熾烈な核開発競争のさなか、大国の思惑に翻弄され埋もれて行った漁船員たちの被ばく、亡くなっていった命、重い事実です。政府はこれらの人たちに真摯な対応をしなければなりません。

 安倍政権のもと、秘密保護法の強行、集団的自衛権の閣議決定の強行は、まさに都合の悪いことはひた隠しにしてきた、これだけ国民の命をないがしろにしてきた水爆実験の事実からして、どんな言い訳も通用しない時代の逆行だと言わざるを得ません。
by michiko_fujiwara | 2014-08-08 01:11 | 原発・平和問題

“子どもたちに笑顔、若者に夢、高齢者に安心を” 日本共産党池田市会議員・藤原みち子の活動日記 e-mail : m_fujiwara(a)wombat.zaq.ne.jp…(a)は@に置き換えて。随分長い間メール機能が止まっています。しばらくご容赦ください。


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