がんがら火祭り
地蔵盆の今日、池田市はがんがら火祭りがおこなわれました。五月山の中腹にある愛宕神社の火を京都の送り火のように、五月山に運び大一文字と大文字が灯され、町には重さ100㎏長さ4mの大松明が2本1組で3基繰り出します。綾羽町からハロー本町商店街の入り口で左折し、ハローワークの前でさくら通りを南下します。途中で松明をつけかえ池田市役所前まで行って帰ります。
商店街まで行くとちょうど南下してくるがんがら火にぶつかり沢山の人の頭越しにカメラを向けました。
先頭には小さな松明と鐘を鳴らしながら歩く子どもたちの隊列が歩いていました。この鐘の音ががんがらがんがらと鳴ることから「がんがら火」と呼ぶようになったと聞いています。
この隊列の少しあとから3基の松明が続きますが、火事場装束の若者たちが燃え上がる松明を押したり引いたりするのですから、火の粉を払う人がいても火傷は避られ無いのではないかと心配します。気合ですかね~。
がんがら火の起源は、1644年(正保元年)だそうです。多田屋・板屋・中村屋・丸屋の四人が、五月山山上で百味の箱を竹に立て火を灯したところ、人々がその火を見て、池田に愛宕が飛来したといいながら、競って参集したのが池田の愛宕神社のはじまりとされています。
五月山の文字火は城山町の「大一」と建石町の「大」の字の2つあります。大一の意味は、大は天を、一は大地を松明は人を象徴するものとされています。
また、肥松(松の木を伐採した後の切り株の根に含まれる油分が凝縮したところ。地中で20~30年以上経たないとできない。)がその燃料になっていますが、この材料が中々手に入らず1年かけて集めるのだと聞いたことがあります。
松明が愛宕神社の御神火を頂いて町を練り歩く途中、随所にその燃え残りを落とします。
愛宕と言えば火伏せの神様であるため、少し前までは御燈明に灯すと火除けになると、こぼれ火を拾い持ち帰る人もあります。火箸と小瓶を持ってついて廻りながら拾っておられる姿を見たことがありますが、最近はあまり見ませんね。
以前は猪名川の花火大会も同じ日におこなわれていたのでどっちを見ようかと迷ったものです。
松明を付け替える新田本店(建材店)の前で、がんがら火を待つ間に空を彩る花火を見、五月山に眼をやると正面には大文字、川西寄りには大一の文字を見てとトリプルで楽しめました。
地蔵盆の一大イベントだったのですね。